水野晶子師(日本イエス・キリスト教団委員長、伊那福音教会牧師)

聖  書:テモテへの第一の手紙 第1章12~17節
1:12 わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。主はわたしを忠実な者と見て、この務に任じて下さったのである。
1:13 わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。
1:14 その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。
1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。
1:16 しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。
1:17 世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。

荻窪栄光教会が創立60周年を迎えて、今までの教会の歴史と歩み、また、皆様の信仰を振り返り新しい一歩を踏み出すにあたり、「信仰継承」というテーマが与えられました。そこでまず、第1テモテ1:12~17よりパウロのふり返りを通し、パウロに与えられた福音を共に受け取りたいと思います。

Ⅰ.パウロの受け取った福音
パウロはここで、受け取った福音、ゆだねられた福音のすばらしさを個人的な証しをしながら、言葉を通しての信仰継承がなされています。以前のパウロは「神をそしる者」「神を汚すもの」「神を冒涜するもの」「迫害をするもの」「暴力をふるう者」でした。そんなパウロが迫害に息せき切って出かけた途上で、十字架に死んで、よみがえり生きておられるイエス・キリストにお会いし、サウロが迫害し続けてきたキリストこそ、まことの救い主であることを信じ、主に立ち返って新しい人生が開かれ、主からこの福音をゆだねられた生涯を歩んだのです。
パウロは受け取った福音を第1コリント15:1~10にまとめてあります。テモテへの手紙においては1:15、2:5~6、第2テモテにおいては1:10、2:8にパウロは短い言葉の中にイエス・キリストを通して与えられた福音の内容と恵みを凝縮して伝えています。
パウロは自らを罪人のかしらと自覚して、そのような者のためにさえ、命を懸けて憐みのうちに招き、忠実な者とみて、この福音のバトンを渡す任務が与えられました。さらに、このバトンを受け取った人々の模範になるように召されたのです。
この福音のバトンをテモテが引き継ぎ、さらに初代教会から2000年以上の歴史を経て、私たち一人一人もこのバトンを引き継いだのです。今、私たちは、私たちに語られた福音をしっかり握り、自分の言葉で表し、確信をもってこの福音を伝え、福音にふさわしく生きることではないでしょうか。

Ⅱ.荻窪栄光教会にゆだねられた福音のバトン
福音のバトンを受け継いだ人の群れが教会です。イエスは主であると告白して救われた一人一人がここに集められ、見えるキリストの体である教会が建て上げられ、60年になりました。
「荻窪コイノニア」に今まで受け継いできたものを大切に守ってきた伝統力と組織力を、教会の優れた点として記されてありました。次世代に引き継がれていく大切な点であると思います。さらに、ここから教会が神の栄光を現して、日本の1%に満たないクリスチャンの壁を破って行くために、一人一人が福音に生き、み言葉を分かち合い、弱さや足りなさも本音で言えて、祈り合える関係づくりを通して、互いに愛し合う神の家族としての教会を望みます。教会の外の人々に、イエス・キリストが表された愛がみえるように社会貢献の必要性も覚えます。また、地方への祈りと協力をなお推し進めていただきたいと願います。