聖  書:テモテへの第一の手紙 第3章14~16節
3:14 わたしは、あなたの所にすぐ行きたいと望みながら、この手紙を書いている。
3:15 万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。
3:16 確かに偉大なのは、この信心の奥義である、「キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた」。

教会暦や特別行事が続いたので、2か月ぶりに「奉仕・献身」を主題にしたテモテへの手紙の講解に戻る。Ⅰテモテ3章前半は監督(牧師)、執事(実務担当奉仕者)への勧めであり割愛する。3章後半では教会とは何かが記されている。

Ⅰ.神の生ける教会
この手紙の半ばで、一つの区切りとして教会とは何かを思い起こさせている。神の家とは、生きた命ある、神ご自身の教会である。テモテの時代も現在も変わらず、主の来臨の時まで教会は地上に在り続ける。聖書で教会が詳述されているのはエペソ人への手紙である。エペソ2:19~22には、土台は使徒・預言者たちであり、キリストご自身が隅のかしら石であるという。この建物に私たちも組み入れられ成長し、(22節)「神のすまい」になる。私たちがイエス様の十字架のあがないの業によって救われ、信仰によって成長していくことが教会を成長させる。であるので、ここでの教会とは見える建物ではない、見えない内側の部分を指し、私たちの信仰の歩みに関わっている。私たちが喜べば喜びが表され、恵まれれば恵みを表し、真実であれば真実が表される。良い実が表わされるように神様に求めよう。

Ⅱ.神の真理である柱と基礎
次に、神の教会には真理の柱、真理の基礎があると記される。建造物の家、構造物の柱・基礎は風雨に耐える外枠を表す。生けるとは、神様の命が宿る内枠の生命体を表す。柱が建物を支えているように、生ける神の教会の柱は、エペソ1:23には「キリストのからだ」とある。イエス様は生ける神の教会の(エペソ2:20)「隅のかしら石」であり、同時に御体をもって支えておられる。生ける神の教会には、(エペソ1:23)イエス様が「満ちみちている」とある。教会はどこをとってもイエス様である。エペソ3:6にはイスラエルも異邦人も区別なく一つとなるとある。エペソ4:14~16には生ける神の教会は神の愛によって成長するとある。Cf.13世紀の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の実験。… 人は愛が必要であり、人は愛によって成長する。私たちの信仰、教会の成長には神様の愛が不可欠であり、豊かであればさらに進んでいく。

Ⅲ.神の啓かれた奥義
この章は16節の「信心の奥義」で締めくくられている。同じ箇所を文語訳は「敬虔の奥義」とした。奥義の5つの内容が出てくる。?キリストの受肉:?テモテ1:9・10。神様の救いの計画の中心。?霊において義とせられ:?コリント1:30。イエス様は私たちの知恵、義、聖、あがないである。?御使たちに見られ:?ぺテロ1:12。御使たちも見たいと願った。?諸国民に伝えられ、世界で信じられ:使徒行伝以来の歴史の事実。?栄光の昇天:エペソ1:20・21。王の王、主の主であられる。信仰の奥義であるが、神秘ではなく全ての信仰者に啓かれている。

教会は一人一人の信仰の重なり、つながりにある。神様の命があるからこそ、神様の愛によって成長する。イエス様の救いの豊かさや深さに生きるものである。教会にあって、悩みも感謝も、痛みも喜びも共にしながら、主に向かって進もう。