聖 書:コロサイ3:1-4

(1)このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
(2)あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
(3)あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
(4)わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

コロナ騒動が起こる前は世間では人の命は粗末に扱われていました。ところが東京都知事が「いのちを守る STAY HOME 週間」を発信するほど、人の命の重要性が浮上してきました。皮肉にもコロナ効果であると言えるのではないでしょうか。キリスト者の命について考えます。

Ⅰ キリストと共に共存するいのち(1~2)
「キリスト者のいのち」とは、「キリストと共に死んで、よみがえったいのち」、つまりキリストの死と復活に共存するいのちです。主は罪人である私たちの身代わりとして十字架上で死んで下さいました。その死の効果を神が認めた証拠として、主は死から甦られたのです。私たちはこの事実の傍観者ではなく、主と共に十字架に架かり、共に甦った、と主観的に受け止めることが求められています。私たちの人生には多くの苦難や試練が伴います。寄り添って貰えても、代わって貰うことはできません。病気とか死には自分一人で向き合わなくてはなりません。感謝なことに主と私たちとは一体なのです。キリスト者はキリストと共存するいのちに与っているのです。

Ⅱ キリストのうちに内在するいのち(3)
ここに一枚の名刺と、小さな手帳と、大型の聖書があります。この一枚の名刺を小さな手帳の中に入れ、それを大型の聖書に入れます。一枚の名刺は、小さな手帳と共に、大型の聖書の内に隠されました。一枚の名刺は私の命です。この小さな手帳はキリストご自身です。そして大型の聖書は神様です。「あなたがたのいのちは、キリストと共に、神のうちに隠されているのである」。アーメン。この事実には神秘性と成長性と保護性があります。この命の事実は奥義であり、キリストの形まで成長するものであり、保護され、安全なものなのです。
この命は「目の瞳のように守られ(申32:10)、神の力で守られ(Ⅰペテロ1:5)、眠ることなく守られ(詩121:1-5)、キリストの平安で守られ(ピリピ4:7)、御霊によって守られ(Ⅱテモテ1:14)、再臨まで守られ(Ⅱテモテ1:12)、御名によって守られる」(ヨハネ17:11)のです。

Ⅲ キリストと共に顕在するいのち(4)
「キリストと共に栄光のうちに現れる」とは、キリスト者は天国に迎えられることを意味します。天国は光り輝く世界です。(黙示録22:5)神は私たちの卑しいからだを栄光のからだに変えて下さいます。(ピリピ3:21)このことを「栄化」と呼びます。「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえった」(第一コリント15:20)。キリストの復活はキリスト者の復活を保証するものです。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」(黙21:3~4)。

大阪の材木問屋の長女として生まれた玉木愛子さんは旧制女学校1年の秋、ハンセン病と診断されました。34歳になって受洗、81歳で召天するまで、感動深い多くの歌を残しました。「毛虫這えり 蝶となる日を 夢見つつ」は代表作の一つです。