聖書:サムエル記第二7:8~17

7:8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の主はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。
7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。
7:10 わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を苦しめることのないようにするためであった。
7:11 それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。主はあなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る、と。
7:12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。
7:15 しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。
7:16 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」
7:17 ナタンはこれらすべてのことばを、この幻のすべてを、そのままダビデに告げた。
7:18 ダビデ王は主の前に出て、座して言った。「神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。

聖書各巻の緒論は今回で第10回となる。歴史書が続くがサムエル記第一の後のサムエル記第二である。元々へブル語のサムエル記は1巻であり、列王記、歴代誌も1巻であった。ギリシャ語訳の際に字数が増え標準的なスクロール(巻物)1巻では収めきれなくなって2分割された。便宜的な理由での分割だが内容上の区分が考えられている。

Ⅰ.基本的なことがら(著者、執筆年代は前回に同じ)
著者:サムエル記はサムエルが記したという伝承がある。サムエルが最初の重要な主人公だがサムエルは途中で召される(サムエルⅠ25:1)。最初の部分はサムエルが記したことは考えられるが、以降はサムエル以後の人物となるだろう。
執筆年代:年代はサムエルの誕生(B.C1060頃)からダビデの晩年(B.C970年頃)までの期間となる。執筆された年代は本書が記す著者同様に余りよく分らないと言える。
大区分:1-10章サウルの死、ダビデ王国の確立
11-20章バテ・シェバとの罪、王位継承の争い
21-24章ダビデの晩年

Ⅱ.基本的なメッセージ:「ダビデの施政」
少年の日からサウルに代わる王としてダビデに油は注がれていた。この時にダビデがサムエルと出会い、その霊的な感化を受け、素晴らしい素質がさらに伸ばされたことは確かである。よこしまなサウルによる迫害、周辺諸国との戦いによってダビデの即位は何時のことかと思える。多くの苦難と逆境はダビデを鍛え、練り、造り上げていった「主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」(へブル12:6)。ダビデはただ神様に従って行く、神様に信頼して行くことを学びとっていく。サウルの死後もイスラエル全土の王ではなくヘブロンでユダの王となり、アブネルの反逆によって全国の王に迎えられた。エルサレムを首都に定め、イスラエル王国の最盛期を迎えることになる。

Ⅲ.聖書箇所のメッセージ:「ダビデ以降のイスラエル」7:8~17
ダビデの王家が続いていくこと、何よりもメシア・救い主がダビデの裔として生まれることは驚くべきことである。イエス様の誕生が聖霊によるものであっても、神様はダビデの遠い子孫ヨセフを選ばれた。ダビデも決して完全ではなく、欠けだらけである。バテ・シェバとの間のことは罪の実態として、罪が罪を生み出していく恐ろしさを私たちに教えている(11章以降)。ダビデは多妻であったので異母兄妹のアムノンとタマルの出来事が起こり(13章)、アブサロムの反逆につながっていく。最愛の息子アブサロムを謀反の罪で処断しなければならかった。その他にも負の評価は少なくはない。それでもなお、ダビデは神様に愛され、神様を愛し、従ったことによって豊かな恵みを受けた傑出した器であったことは事実である。

イスラエルの王政はダビデ、その子ソロモンによって興隆したがその後は、イスラエル全体の不信仰、自己中心のゆえに衰退の歴史をたどっていく。亡国、バビロン捕囚を経ても神様の愛、導き、守りは確かであることが示されていく。