聖書:マタイ16:13~20

16:13 さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。
16:14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
16:17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。
16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
16:20 そのときイエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と命じられた。

私たちはこの夏、コロナ禍、猛暑、大雨という状況で歩んだ。世界で起る気象異変は異常から、異常が平常になりつつある。今日は振起日であり、疲れを癒し、新たな力をいただいて、霊的・信仰的な実りの秋、クリスマスに向かっていきたい。

1.イエス様とはどのような方なのか
イエス様はイスラエルを離れ、静かな場所で弟子たちに大切な問いかけをされた。人々はイエス様をどう受け止めているのかと問われた。弟子たちはバプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者の一人と答えている。彼らは神様の偉大な働き人たちであるが過去の人、天に召された人である。あなたはどうなのかという問いに、ペテロは答えた「あなたは生ける神の子キリストです。」。イエス様は死んだ過去の方ではない、生きている現在の御方である。神の子であるとは、ただ一人、人であると同時に神様ご自身であることを表している。神様に任命された預言者ではなく、イエス様自身が救い主としての使命を持つ御方である。完全な内容の信仰告白であった。

2.教会は何の上に建っていますか
ペテロにイエス様は、「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。」と言われた。この岩とは何かと様々に受け止められるが、間違いなくペテロの信仰告白である。信仰告白はイエス様が自分の救い主であると公に表明し、自分がイエス様に従うことを明らかにするものである。信仰告白は未だ知らないことに賭けていくこと、神様の内に飛び込んでいく勇気が必要である。信仰告白は血肉による人間の力ではなく、神様からの聖霊の力が必要である(コリント第一12:3)。神様は一歩を踏み出す私たちを喜んで受け止め、私たちを導かれる(ヤコブ4:8)。教会はこの信仰の上に成り立っている。教会を支えるものは沢山あるが、信仰がなければ教会は立ち得ず、崩れてしまう。

3.神様の恵みは開かれていますか
イエス様は「よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」と言われた。教会に対して死の力、悪の力は勝利できない。教会の力は強いとはなかなか思えない。私たちの救いのためにイエス様はご自身を献げられた。Cf.3世紀カルタゴの主教キプリアヌスの十字架の黙想を紹介。イエス様は私たちの救いのためにどれ程多くを献げられたのか。その愛と恵みの上に私たちはあることを決して忘れない。…教会のためにもイエス様はご自身を献げられ、終末に際して教会を迎えられることを聖書は語っている(エペソ5:25-27)。教会に戦いは常にあるが、最終的な勝利は約束されており動かされない。「天の御国の鍵を与えます。」とイエス様は教会が御国につながっていることを語られている。

コロナ禍の状況も1年と4分の3が過ぎて誰しも疲れを覚える。いつの時も終末に向かっているが、この疫病は終末そのものではなく、終わりの徴の一つに過ぎない。ペテロの信仰告白に立ち、私たちも教会も永遠につながっていることを覚えて力をいただこう。