聖書:歴代誌第二20:14~24聖書各巻緒論(14)

20:14 ときに、主の霊が会衆の中で、アサフ族の出であるレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。彼はマタンヤの子エイエルの子ベナヤの子ゼカリヤの子である。
20:15 彼は言った。「ユダのすべての人々、エルサレムの住民、およびヨシャファテ王よ、よく聞いてください。主はあなたがたにこう言われます。『この大軍のゆえに恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。
20:16 明日、彼らのところに攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前、谷の外れで彼らに出会う。
20:17 この戦いは、あなたがたが戦うのではない。堅く立って、あなたがたとともにおられる主の救いを見よ。ユダとエルサレムよ、恐れてはならない。おののいてはならない。明日、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにおられる。』」
20:18 ヨシャファテは地にひれ伏し、ユダのすべての人々とエルサレムの住民も主の前にひれ伏して、主を礼拝した。
20:19 ケハテの子孫、コラの子孫であるレビ人たちは立ち上がり、大声をあげてイスラエルの神、主を賛美した。
20:20 こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャファテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレムの住民よ、私の言うことを聞け。あなたがたの神、主を信じなさい。そうすれば、あなたがたは堅く立つことができる。主の預言者たちを信じ、勝利を得よ。」
20:21 彼は民と相談し、主に向かって歌う者たちと、聖なる装いをして賛美する者たちとを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう言うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
20:22 彼らが喜びと賛美の声をあげ始めると、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアンモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。
20:23 アンモン人とモアブ人は、セイル山の住民たちに立ち向かい、これを絶滅させ、根絶やしにした。セイルの住民を滅ぼし尽くすと、彼らは互いに戦って滅ぼし合った。
20:24 ユダの人々が、荒野に面した見張り場に上って、その大軍の方を見渡すと、なんと、死体が野に転がっていた。逃れた者は一人もいなかった。

聖書各巻の緒論は歴代誌第二で第14回となる。歴代誌は、同時代の列王記が記さなかった面を私たちに表す。ユダヤ人が伝えるヘブル語聖書は配列が異なり、トーラー(律法の書)、ネビーム(預言書)、ケトビーム(諸書)と区分される。ケトビーム(諸書)の最後が本書である。イエス様がルカ11:50・51でユダヤ人が流した預言者の血はアベルからザカリヤに至ると言われたが、ザカリヤは本書
24:20~22に出てくる。イエス様の言葉は私たちが創世記からマラキ書までの殉教者と言うのと同じ意味になる。

Ⅰ.基本的なことがら(著者、年代は前回に同じ)
著者:伝承としてはエズラの名が上がる。歴代誌とエズラ記のつながりは古来認められてきた。歴代誌の結語はエズラ記の序言とほぼ一致する。
執筆年代:エズラであれば前5世紀後半となる
(エズラのイスラエル帰還が前458年)。
大区分:1-9章ソロモンの治世
10-29章王国の分裂、南王国ユダのレハブアムからゼデキヤ
の治世

Ⅱ.基本的なメッセージ:「神様の約束の真実さ」
神様はダビデに神殿建設を止められ、その子ソロモンが成し遂げたのは神様の約束の成就である。ソロモンによる神殿建設は5章で完成し、契約の箱が安置され、賛美が献げられると神殿に雲が満ち、主の栄光が表わされた。神様はダビデにダビデの子孫が王位を引き継ぐことを約束された。歴代誌には列王記に出てこない3つの大きな戦いの勝利があった。1番目は13章のアビヤの時代、北王国イスラエルの初代ヤロブアムに勝利した「彼らがその父祖の神、主に拠り頼んだからである」(13:18)。2番目は14章のアサの時代、エチオピアの100万の大軍が押し寄せた。「主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。」(14:11)と主に呼び求めた。3番目は今日の聖書箇所になる。

Ⅲ.聖書箇所のメッセージ:「ヨシャファテの求め」20:14~24
ヨシャファテの時代に近隣のモアブ、アンモン、エドム連合軍が攻め寄せてきた。ヨシャファテの施策はユダ全国での断食の祈りであった。神様の霊がレビ人ヤハジエルに注がれた。神様が戦われる、神様は救われる、神様は共におられるとの使信を伝えた。ヨシャファテは戦いにあたって、歌うたう者、聖なる装いをして賛美する聖歌隊を任命した(21節)。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」(歴代第一16:34)神殿以前からの祭儀的な賛美である。賛美する者は兵士の前を進み大軍に向かっていった。「伏兵」(22節)とは人間、主の使い、超自然的なものか分らない。エリコ陥落のように剣による戦いではなく、神様に仕える聖なる者たちを用いて勝利を与えられた。戦う前に賛美がささげられ、賛美に応えられて、神様が勝利された。

真の神様への賛美は力、勝利、栄光につながっている。イエス様の降誕の際、ベツレヘムの野原で天の軍勢が賛美した。パウロとシラスはピリピの牢で賛美した。天上の礼拝の賛美は黙示録に詳しい。私たちも賛美をささげながら、日々の戦いに勝利しよう。