聖書:コロサイ1:24-27

1:24 今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。
1:25 私は神から委ねられた務めにしたがって、教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを、
1:26 すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。
1:27 この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

これまで私たちの教団が大切にしてきた聖句を取り上げましたが、今回は三回目として、「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」についてお話しします。

Ⅰ奥義であるキリスト
奥義とは「秘められた真理」、それは人間の知識や経験、あるいは力や修養などでは、到底理解したり、把握したりすることができないものです。
1受肉降誕「受肉降誕」とは「神が人として降誕された」という意味です。「受肉降誕」は処女マリヤに対する「受胎告知」から始まりました。
2十字架と復活と昇天キリストは十字架にかかり、3日目に復活し、40日目に昇天されました。
3聖霊の降臨復活されたキリストは昇天後10日目に「キリストの霊」としての聖霊が降臨されたのです。それ以来、神の御業はすべて聖霊が関与されます。

Ⅱ内住のキリスト
1ぶどうの木と枝(有機的な関係)イエス様は「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。」(ヨハネ15:4)と言われました。
2イエス・キリストの贖い(生命的な関係)イエス様は「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。」(ヨハネ6:55~56)と言われました。
3全き愛(本質的な関係)「愛」は神の本質です。①「私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(Ⅰヨハネ4:12)②「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。」(Ⅰヨハネ4:13)③「神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。」(Ⅰヨハネ4:16)

Ⅲ栄光の望
1天の御国への希望幸いなことにキリスト者には栄光に輝く天国への希望があります。
2栄化への希望聖書は「私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」(ピリピ3:21)と記しています。
3主と共なる御国への凱旋「内住のキリスト」は私たちから出入りされる方ではありません。「内住のキリスト」と共に御国へと凱旋することができるのです。

「信任、信頼、信用、信仰」、「入り込んで、もたれかかって、空身になって、あてにする」これこそ聖潔(きよめ)られた、聖霊に満たされた、「内住のキリスト」信仰に立つキリスト者の姿です。