聖書:コリント第二6:14~7:1

6:14 不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。
6:15 キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。
6:16 神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
6:17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、
6:18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」

7:1 愛する者たち。このような約束を与えられているのですから、肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。

私たちには「肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。」という目標が与えられています。

Ⅰ約束を与えられている。
ここには「分離」(命令)と「臨在」(約束)が記されています。
1.分離の理由:「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。」
2.神の命令:「彼らから離れよ。汚れたものに触れてはならない。」
3.神の約束:「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。~わたしは、あなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。」

Ⅱ肉と霊の汚れから自分をきよめ
「肉と霊」とは「自己」を意味し、「自己」の実体を「肉体と霊魂」とに二分しています。テサロニケ第一5章23節は「あなたがたの霊、たましい、からだ」(口語訳:霊と心とからだ)とに三分しています。「肉と霊の汚れ」について、ガラテヤ5章19~21節を通して考えて見ます。
1.霊のきよめ:これは対神関係の問題であり、神に対する罪からのきよめです。ここでは偶像礼拝と魔術が挙げられています。
2.たましい(心)のきよめ:これは対人関係の問題であり、他人に対する罪からのきよめです。ここには敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派等が挙げられています。
3.からだのきよめ:これは対自関係の問題であり、自己に対する罪からのきよめです。ここには淫らな行い、汚れ、好色、そねみ、ねたみ、泥酔等が挙げられています。

Ⅲ聖さを全うする。
聖書は「聖さを全うしようではありませんか。」(口語訳「全く清くなろう
ではないか。)と勧めています。
1.全き謙遜:常に悔い改め、神と人の前に謙遜であることが、聖さを全うする上で大切なことです。(Ⅰヨハネ1:9)、
2.全き服従:「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。」(マタイ4:19~20)
3.全き献身:「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」
(ローマ12:1)

私たちには「全ききよめ」という目標が与えられています。目標達成に向かって共に歩ませて頂きましょう。