聖書:箴言3章1~12聖書各巻緒論(20)

3:1 わが子よ、私の教えを忘れるな。心に私の命令を保つようにせよ。
3:2 長い日々と、いのちと平安の年月が、あなたに増し加えられるからだ。
3:3 恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ。それをあなたの首に結び、心の板に書き記せ。
3:4 神と人の前に好意を得、聡明であれ。
3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
3:6 あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。
3:7 自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。
3:8 それは、あなたのからだに癒やしとなり、あなたの骨に潤いとなる。
3:9 あなたの財産で主をあがめよ。あなたのすべての収穫の初物で。
3:10 そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされ、あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。
3:11 わが子よ、主の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。
3:12 父がいとしい子を叱るように、主は愛する者を叱る。

 

聖書各巻の緒論として前回の詩篇に続いて箴言を開く。箴言という言葉は聖書の書巻名以外ではなかなか使われない。道徳上の格言、実践的教訓、英知による格言といった意味合いになる。

Ⅰ.知恵文学として
箴言は、ヨブ記・伝道者の書・詩篇の一部と共に知恵文学である。イスラエルには「知恵のある者」(エレミヤ18:18他)が人々を教えていた。知恵文学はイスラエルのみならず東方では広く編纂された。それぞれの時代、地域で知恵は語られたが、イスラエルで語られた知恵は明確に神様に結びついている(1:7本書の中心聖句)「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」。この世の処世訓、格言とは次元が違う。イスラエルの知者の中でソロモンは特別である(列王第一4:32)「ソロモンは3千の箴言を語り、」。シェバの女王がソロモンの噂を聞き試しに来た(列王第一10章参照)。箴言の著者はソロモンであると最初に記されている(1:1)。本書の最後の2章はアグル、レムエルの名が記されているが大部分はソロモンの作と考えられる。

Ⅱ.主を恐れる者への恵み
今朝の3章では(5節)「主に拠り頼め」と命じられている。主を恐れることは主から離れることではなく、主に拠り頼み、主に結び付くことである。その結果は(2節)「いのちと平安の年月」である。平均寿命の短かった時代、長寿であることは祝福であり、永遠の命を示していた。内に持つものは(3節)「恵みとまこと」である。心の板に書き記せとあるように常に心に持ち続けるのである。神と人に愛される、賢さを持つ者とされる(4節)。
さらに行く道を主に委ねること(6節)、主の知恵を求めていくこと(7節)により、健康と肉体が強められて行くことになる。財を得ていく(9・10節)という旧約聖書が描く祝福を得ていくことができる。人はこの世の祝福を第一に求めるが、神様の知恵を求め、知恵が教える道に歩むならば人が求める祝福は付き従ってくる(マタイ6:33)。

Ⅲ.新約聖書に全うされている知恵
主にある知恵を旧約聖書は伝えるが、現在、神様を私たちに表したのはイエス様である(ヨハネ1:18)「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」。イエス様を通して神様の知恵を知ることが出来る(コロサイ2:3)「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」。旧約聖書の時代、神様の知恵はソロモンのような特別な人に現わされた。今はイエス様を求め、この方にあるならば、神様の知恵は私たち一人一人に明らかにされていく(コロサイ3:9~10)「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」。知恵のみならず全人的にその人の内に表わされていく。

箴言にあるいのちと平安、恵みとまことはイエス様によって与えられる。イエス様にある新しい人は箴言の生き方を全うすることができる。