聖書:ヘブル7:23~28

7:23 また、レビの子らの場合は、死ということがあるために、務めにいつまでもとどまることができず、大勢の者が祭司となっていますが、
7:24 イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。
7:25 したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。
7:26 このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。
7:27 イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。
7:28 律法は、弱さを持つ人間たちを大祭司に立てますが、律法の後から来た誓いのみことばは、永遠に完全な者とされた御子を立てるのです。

私は毎年、暮れになりますと新年の言葉を待ち望みます。それを元旦礼拝の説教とすると共に年賀状にも掲げました。本日の聖句は今年のために与えられた言葉です。本日お伝えできますことを感謝いたします。

祈りには5つの要素があります。
1.主の御名を崇める。2.主に感謝を捧げる。3.罪を悔い改める。4.願い求める。
5.執り成しの祈りを捧げる。

Ⅰいつも生きておられるイエス
1生ける神であるイエス様:ペテロは「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタイ16:16)と答えました。
2復活・昇天されたイエス様:イエス様の復活は罪と死と悪魔に勝利された強固な証です。
3聖霊として降臨されたイエス様:聖霊は五旬節の日に下り、多くの人々が聖霊に満たされました。
Ⅱイエス様のとりなし
1とりなしの意味:「双方のあいだに第三者がはいって、悪感情を取り除いたり、互いに都合のよい条件を提示したりして、関係を好転させること」
2油注がれた者:イスラエルにおいては「王と祭司と預言者」には、「油注ぎ」の儀式が行われました。「油」は聖霊を象徴しています。
3祭司の務め:「宥めの供え物」を神に捧げ、神の赦しを得ることでした。
4イエス様の祈り:①十字架上の祈り、②ゲッセマネの祈り、③天上における祈り:イエス様の執り成しの祈りに励まされて日々歩ませて頂きましょう。
Ⅲ神に近づく人々
「神に近づく人々」とは「神の恵みや祝福や赦しを求める人々」を指しています。
1裂かれた至聖所の幕:イエス様が十字架にかかられた際に、神殿の幕が裂け、聖所と至聖所の境がなくなり、自由に往来できるようになりました。
2肉体の垂れ幕:「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。」(ヘブル10:19-20)
3至聖所に向かって:信仰の高嶺を目指して、神に近づこうではありませんか。(ヘブル10:21-22)
Ⅳ完全な救い
1完全な贖罪:「キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」(ローマ3:24)
2完全な執り成し:「キリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)
3完全な聖潔:「もし私たちが自分の罪を告白するなら、~その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)
4完全な信仰:「私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。」(エペソ3:12)
5完全な御国:「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(黙示録21:4)