聖書:エペソ6:10~20

6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
6:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
6:19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。
6:20 私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

先週は教会に与えられた2022年度旧約聖書の聖句イザヤ37:30を開いた。コロナ禍の中にあって教会は1年目・2年目にはわずかな働きしかできなかった。しかし、3年目には種を蒔き刈入れ、実った実を食べることを神様に期待しようと語った。今朝はそれを成し遂げさせてくださる神様の力を知ろう。

Ⅰ.神様の力によって(10節)
私たちは神様が偉大な力を持つことを知っている。無から有を生み出す、天体を正確に配置して治める、生命の多様性を生み出す、救いの歴史を導かれる…力を持たれている。もしそれが力・エネルギーだけであるなら、自然や秩序であると人は言うだろう。全てを創り、治める御方は人格を持ち、創られたものを喜んでおられる。この御方が全ての冠として創られた人間を愛されている。罪に陥り、滅びる者となった人間にイエス様の十字架による救いの道を開かれた。人が生きる戦い、悪との誘惑の中で打ち負かされることがないように、(10節)「主にあって、大能の力によって強められなさい。」と勧めておられる。この書簡にも繰り返される「主にあって」は、直訳すると「主の内に」である。イエス様とつながる、イエス様の内にあることによって神様の力は私たちのものとなる。

Ⅱ.神様の武具によって(11~17節)
毎日、戦争の報道を目にするが、信仰者の戦いは別にある。目に見えない悪魔との戦いであり、悪魔は闇の世界の人格的存在である。霊的な戦いであるから、神様は私たちに神様の大能の力を与え、武具をも備えてくださった。
1)「真理の帯」:当時の下着は裾の広がった1枚ものであり帯を締めないと動けない。第一に神様の真理、真実が基になる。2)「正義の胸当て」:胴体、体幹を守るために神の義によって悪の力を防御する。3)「平和の福音の備え」:靴である。戦いであっても信仰者には平和の良き訪れが第一の目的にある。
4)「信仰の盾」:全身を守る大盾になる。悪魔は火矢を放つが、刺し通すことも燃えつくこともない。5)「救いのかぶと」:大切な頭を守るのは永遠の救いの事実である。悪魔が最も奪いたいものであろう。6)「御霊の剣」:ここまでは防具であったが、唯一の武器である。神のことばとあるように御言が人を強め正しくし、悪を退ける。神様は頭の先からつま先まで全身を守り、悪魔との戦いに備えてくださっている。

Ⅲ.神様への祈りによって(18~20節)
神様の大能の力、神様による武具が備えられている。なおその上に、御霊による祈りが必要とされている。祈りは聖霊によって力をいただき、励まされ、導かれる。信仰者の日常が整えられ、力と確信をいただく。イエス様の不断の祈りの姿を見るが、十字架の前のゲッセマネこそイエス様の祈りの頂点になる。パウロが願うように祈りはその人の内に働き、他の信仰者、聖徒のために働く。

パウロは獄中でローマ兵に看られていた。この世の戦いではなく、霊の戦いに神様からの力と武具をいただき勝利していこう。