ペンテコステ・聖霊降臨日記念礼拝

聖書:使徒2:14~24

2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』
2:22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。

今朝はペンテコステ(五旬節)、聖霊降臨日記念礼拝を迎えた。キリスト教は父なる神、子なるイエス様、聖霊の三位一体の神様を信じる。その説明には、水の三態(水、水蒸気、氷)、人間の人格(知識、感情、意思)、正三角形の性質などが使われる。神様に属することを地上のもので説明は尽くせない。三位一体の神様は、その現れと働きは違うが、本質において同一である。父なる神様は私たちの救いのためにイエス様をこの世に遣わされた。イエス様は十字架に架かられて救いの道を成就された。聖霊によって私たちは神様を知り、罪を悔い改めて神の子とされる。私たちの救いは三位一体の神様が共に働いてなされる。ペンテコステの日に聖霊が注がれ、私たちへの救いが明らかにされた。ペンテコステの日が大きな転換点となった。

Ⅰ.聖霊を待ち望む
聖霊が豊かに臨むために何が必要だったのか。1)イエス様の約束を信じる
(1:5)「ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」。2)心を一つにして祈る(1:14)。自己中心であった弟子たちが神様を仰ぎ、自分たちを見つめるようになった。3)神様の時が満ちる(2:1)「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。」。神様の業は一度には進まない。イエス様の降誕、公生涯、十字架、復活、昇天があって最後に聖霊が降った。神様の御心であり、イエス様を信じる者たちの応答によってなされた。

Ⅱ.聖霊が注がれる
ペンテコステ(五旬節)に聖霊が降った(2:1~4)。大きな音が響き、炎のようなものを目にした。弟子たちはローマ世界の各地の言葉で福音を語り始めた。先程読まれたペテロの説教に「すべての人にわたしの霊を注ぐ。」とある。男女、若者、老人、主人、僕、何の区別もないことの現れである。イエス様は助け主、真理の御霊である聖霊を送ると約束され、(ヨハネ14:17)「あなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられる」と言われた。民族、言葉、性別、立場等に違いはなく、私たちの内にまで来られる。信じる者全てが神様を内に持つという約束は他の世界宗教には無いだろう。信じる者全てに聖霊は注がれる。

Ⅲ.聖霊に生かされる
聖霊によって弟子たちがローマ世界の各地の言葉で福音を語り始めると、酒に酔っていると非難された。酩酊は自分を失い、さらに進んでアルコール依存症になると自分の意思を失う。聖霊に満たされたペテロ始め弟子たちは、自分を見出していく。弟子たちはイエス様の元にいた時には余りに不十分だった。イエス様の十字架と復活に出会っても十分に理解できなかった。聖霊によって初めて彼らは全てを理解し始めた。イエス様が十字架に架かられたエルサレムで、イエス様を十字架に付けた張本人の前で、大声で神様の真理と悔い改めを語った。聖霊はその人を生かす。

ペテロが神様の働きを進め、弟子たちがイエス様を宣べ伝えていく。聖霊は人を生かし、用い、豊かな恵みを表していく。