聖書:詩篇96:1~13

96:1 新しい歌を主に歌え。全地よ主に歌え。
96:2 主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと御救いの良い知らせを告げよ。
96:3 主の栄光を国々の間で語り告げよ。その奇しいみわざをあらゆる民の間で。
96:4 まことに主は大いなる方大いに賛美される方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。
96:5 まことにどの民の神々もみな偽りだ。しかし主は天をお造りになった。
96:6 威厳と威光は御前にあり力と輝きは主の聖所にある。
96:7 もろもろの民の諸族よ主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。
96:8 御名の栄光を主に帰せよ。ささげ物を携えて主の大庭に入れ。
96:9 聖なる装いをして主にひれ伏せ。全地よ主の御前におののけ。
96:10 国々の間で言え。「主は王である。まことに世界は堅く据えられ揺るがない。主は公正をもって諸国の民をさばかれる。」
96:11 天は喜び地は小躍りし海とそこに満ちているものは鳴りとどろけ。
96:12 野とそこにあるものはみな喜び躍れ。そのとき森の木々もみな喜び歌う。主の御前で。
96:13 主は必ず来られる。地をさばくために来られる。主は義をもって世界をその真実をもって諸国の民をさばかれる。

 

中田師・森山師召天記念、音楽伝道礼拝

7月第二聖日は中田師・森山師召天記念として、音楽伝道礼拝をささげている。聖歌隊の特別賛美に感謝。

Ⅰ.賛美されるべき御方
嬉しい時に鼻歌を歌う。悲しい時にうめくような嘆きが口からもれる。古今東西、人の心の思いが歌となり、表されてきた。人間の自然な感情の表れだろう。教会の礼拝では賛美歌が歌われ、神様がほめたたえられているということは良く知られている。礼拝でほめたたえられる神様はどのような御方なのか。(4節)「大いなる方、大いに賛美される方、すべての神々にまさって恐れられる方」、(5節)「天をお造りになった。」、(6節)「威厳、威光、力と輝き」、(7節)「栄光と力」とある。賛美は神様にこそ相応しい。

Ⅱ.賛美をささげる心
賛美されるべき、ほめたたえるべき神様の姿を見た。この神様が私たちとどう関わられるのか。(2節)「御救いの良い知らせ」とある。「良い知らせ」を聖書は福音と訳し替えている。この福音について、コリント第二4:4では「この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしている」と説明する。賛美される聖書の神様に反するこの世の神がある。人間の欲望、人間の心の暗闇の部分と結び付いている神である。コリント第二4:6「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝せるために、私たちの心を照らしてくださったのです。」とある。イエス様によって私たちの心は闇から光に変えられる。イエス様の十字架の血潮が罪と汚れを取り去ることができる。コリント第二5:17「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とある。イエス様の光によって新しくされた心に、神様への賛美が生まれる。Cf.私個人の体験。CS時代の礼拝賛美の出来事から解放されるまで。

Ⅲ.賛美が全地でささげられる
7~9節に賛美をささげる人々の姿が描かれている。(7節)「もろもろの民の諸族よ」とあるように全世界で賛美される。(9節)「聖なる装いをして、主にひれ伏せ。」とある。神様の前にどんな礼服を着ればよいのかと思う。外側の衣装のことではない。エペソ4:22~24「人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、…神にかたどり造られた新しい人を着る」とある。イエス様の十字架の血潮によって新しくされた人の姿である。(8節)「ささげ物を携えて、主の大庭に入れ。」とある。神様が喜ばれる供え物は何だろうか。へブル13:15「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」とある。賛美が神様に喜ばれるささげ物である。このように賛美は全世界のイエス様を信じる信仰者によって神様にささげられ、神様は喜んでお受け下さっている。

真の神様に、新しくされた心で、新しい人となって誉め歌をささげよう。