聖書各巻緒論29・預言書7

聖書:ヨエル2:25~32

2:25 「いなご、あるいは、バッタ、その若虫、噛みいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々に対して、わたしはあなたがたに償う。
2:26 あなたがたは食べて満ち足り、あなたがたの神、主の名をほめたたえる。主があなたがたに不思議なことをするのだ。わたしの民は永遠に恥を見ることがない。
2:27 あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはいないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。
2:28 その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。
2:29 その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。
2:30 わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。
2:31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:32 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。主が言ったように、シオンの山、エルサレムには逃れの者がいるからだ。生き残った者たちのうちに、主が呼び出す者がいる。」

聖書各巻から小預言書12巻の2番目に当たるヨエル書となる。

Ⅰ.ヨエルの時代
ヨエル書は3章から成る短い預言書である。ヨエルという名は多く見られるが、預言者ヨエルについては「ペトエルの子ヨエル」(1:1)とあるのみで、他の聖書箇所との関連もなく、よく分らない。「ユダとエルサレムを回復させるその日」(3:1)と記すように南王国ユダで神様に仕えたと考えられる。バビロン捕囚の前の時代か、後の時代かでさえも説は分かれる。紀元前4世紀から前9世紀まで考え方は幅広い。伝統的には最も古い時代である南王国ユダのヨアシュの時代と考えられる。ヨエル書は時代の特定は難しいが、内容は明瞭である。神様の使信を読み取っていきたい。

Ⅱ.ヨエルの特徴
ヨエル書の特徴的な記述は、いなごによる災いと主の日である。
1)いなごの災い
2020年、2021年は東アフリカでサバクトビバッタが大量発生して海を越え、アラビア半島からインドに至ったというニュースを聞いていた。移動中も世代交代を繰り返して緑を食べ尽くす。現代でも猛威であるが、古代には恐れられていただろう。旧約聖書にはいなごと訳される単語が11個ある。「噛みいなご、いなご、バッタ、若虫」(1:4)は違う言葉であり、注意を払っていたと思える。いなごの災害はヨエルの時代に現実に起こり、さらに悔い改め、信仰に立ち帰れとの神様からの警告でもあった。
2)主の日の預言
ヨエル書全体に「主の日」は語られている。ヨエルが語る主の日は第一に、南王国ユダに対して、神様への背信を続けるなら、神様の裁きがなされ大きな困難が臨むという近い将来の主の日である(2:11~14)。エルサレムの陥落とバビロン捕囚である。主の日の第二の意味は、「わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。」(2:30~31)とあるように、やがて起こる終末の主の日である。バビロン捕囚は南王国ユダに起こったが、終末の患難は全世界に及ぶ。
「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」(2:32)は全人類への呼びかけである。ヨエルを通して神様は、終わりの日が来る前に、全人類への救いを願っておられる。

Ⅲ.ヨエルと現在
ヨエル書は聖霊が降った五旬節の日、ペテロの説教で引用されたことがよく知られる(使徒2:16~21)。聖霊が全ての人に注がれるという神様の救いの業の大きな節目をヨエルは預言した。聖霊降臨の約束の前に、「イスラエルの真ん中にわたしがいる」(ヨエル2:27)と語られ、インマヌエル・神我らと共にいますという降誕の預言が実現する。その上で、聖霊が降るという歴史の進展がここで示されている。聖霊が降って、全世界に宣教がなされ、終末による救いの完成へと神様の救いの歴史は進められていく。決して長くはないヨエル書は、現在の私たちの救いと、やがて来る未来の救いをダイナミックに語っている。

終末を思わされるこの頃にあって、読み過ごしやすいヨエル書から現在の私たちを捉え直し、主の働きに立ち上がらせていただこう。