聖書:詩篇57:1~11

<57> 指揮者のために。「滅ぼすな」の調べで。ダビデによる。ミクタム。ダビデがサウルから逃れて洞窟にいたときに。

57:1 私をあわれんでください。神よ。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。私は滅びが過ぎ去るまで御翼の陰に身を避けます。
57:2 私はいと高き方神を呼び求めます。私のためにすべてを成し遂げてくださる神を。
57:3 神は天から助けを送って私を救い私を踏みつける者どもを辱められます。セラ神は恵みとまことを送ってくださいます。
57:4 私のたましいは獅子たちの間で人の子らを貪り食う者の間で横たわっています。彼らの歯は槍と矢彼らの舌は鋭い剣です。
57:5 神よあなたが天であなたの栄光が全世界であがめられますように。
57:6 彼らは私の足を狙って網を仕掛けました。私のたましいはうなだれています。彼らは私の前に穴を掘り自分でその中に落ちました。セラ
57:7 神よ私の心は揺るぎません。私の心は揺るぎません。私は歌いほめ歌います。
57:8 私のたましいよ目を覚ませ。琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。
57:9 主よ私は国々の民の間であなたに感謝しもろもろの国民の間であなたをほめ歌います。
57:10 あなたの恵みは大きく天にまで及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。
57:11 神よあなたが天であなたの栄光が全地であがめられますように。

9月第一聖日、振起日を迎えた。まだまだ残暑は続き、コロナ禍の状況にある。神様から力をいただいて、霊的な実りを祈りつつ、秋の働きに向かっていこう。神様はどのようなことがらにおいてもご自分の時を持っておられる。神様の計画を十分に知り得ない私たちは焦り、不安を覚えることがある。

Ⅰ.主にあわれみを乞う
ダビデは少年時代に次の王としてサムエルから油注ぎを受けた。ゴリヤテに勝利し、サウルに召され、戦場で次々に功績を立て、サウルの娘ミカルとの結婚と順境にあった。しかし、理不尽なサウルの嫉妬により命を狙われ、ダビデは一人で落ち延びる。サウルに追われ、ゴリヤテの出身地ペリシテのガテまでも逃げなければならない。ダビデは身を守るために狂人の振りまで演じる(サムエル第一21:13)。サウルは正規の軍隊を送ってダビデの命を狙う。片やダビデの一党は反政府ゲリラのようなものである(サムエル第一22:1・2)。本篇の1節に「私をあわれんでください。」と2回ダビデは訴えるが、正しくダビデの魂からの叫びである。苦しい状況からの救い、助けを神様に切に祈っている。

Ⅱ.主の御手に委ねる
この詩篇はサムエル第一24章のエン・ゲディの荒野の洞穴でのできごとが歌われている。サウルはダビデがエン・ゲディにいると聞いて、3千人の精鋭を率いて探索に来た。サウルは休むために洞穴に一人で入った。その奥にはダビデ一行が隠れていた。部下は神様が与えた絶好の機会でありサウルを殺せと勧める。ダビデは神様が油注がれた方に手を下せないと、そっと上着の裾を切った。ダビデはそれさえも心迫られる思いがした。サウルを殺すことは何とでも理由は浮かぶ。自分が殺さなければ殺される正当防衛である、神様は自分に油を注がれている、御心を早めることに過ぎない等々。しかし、ダビデは自分の手では何も行わなかった。神様の計画は神様の手により、神様の方法で進められるべきであり、ダビデは神様に委ねることを選んだ。これは神様の御前に正しく、相応しくあった。

Ⅲ.主の義に立ち続けて行く
ダビデの真心はサウルにも通じたように思えた。サウルは「おまえは私より正しい。私に良くしてくれたのに、私はおまえに悪い仕打ちをした。」(サムエル第一24:17)と言った。サウルはダビデの方が御心に叶う正しさに生きていると知った。しかし、サウルは心を変えずダビデを追い続け、最後はペリシテとの戦いで戦死する。ダビデはエン・ゲディの荒野の洞穴で神様の前に正しさを持ち得た。私たちが神様の前に正しさを持ち得るのは自分の考えに立ち、行いに頼るのではない。イエス様の十字架の贖いによって義とされている(ローマ3:22~24)。私たちは神様の義に立ち続けることである。ダビデは神様の導きを信じて歌っている(7~11節)「神よ私の心は揺るぎません。…私は暁を呼び覚まそう。」。私たちが神の義に立つならば、主は確かな導きを保証されている。

神によって義とされ続け、新しい思いをいただき、新しい力に満たされて力強く歩もう(イザヤ40:27~31)。