2023年度教会聖句Ⅰ旧約聖書

聖書:イザヤ51:1~11

51:1 「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ。
51:2 あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼一人を呼び出し、彼を祝福し、彼を増やしたのだ。
51:3 まことに、主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜びがあり、感謝と歌声がある。
51:4 わたしの民よ、わたしに心を留めよ。わたしの国民よ、わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしのもとから出て、わたしが、わたしのさばきを諸国の民の光と定めるからだ。
51:5 わたしの義は近く、わたしの救いは現れた。わたしの腕は諸国の民をさばく。島々はわたしを待ち望み、わたしの腕に期待をかける。
51:6 目を天に上げよ。また、下の地を見よ。まことに、天は煙のように消え失せ、地も衣のように古びて、その上に住む者はブヨのように死ぬ。しかし、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの義は絶えることがない。
51:7 義を知る者たちよ、わたしに聞け。心にわたしのおしえを持つ民よ、人のそしりを恐れるな。彼らの、ののしりにくじけるな。
51:8 まことに、シミが彼らを衣のように食い尽くし、虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。しかし、わたしの義はとこしえに続き、わたしの救いは代々にわたる。」
51:9 目覚めよ、目覚めよ。力をまとえ、主の御腕よ。目覚めよ。昔の日、いにしえの代のように。ラハブを切り刻み、竜を刺し殺したのは、あなたではないか。
51:10 海を、大いなる淵の水を干上がらせ、海の底に道を設けて、贖われた人々が通るようにしたのは、あなたではないか。
51:11 主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭には、とこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。

本年度の旧約聖書からの教会聖句を語る。コロナ禍が収まりつつあるようであり、コロナ禍以降の新たな宣教と、教会の形成を求めていく。

Ⅰ.困難な状況から
イザヤ書は最も分量の多い預言書であるが、その内容も壮大と言える。イスラエルから始まり、世界の過去、現在、未来を指し示している。イザヤの預言はこれから起こるエルサエムの陥落、南王国ユダの滅亡、バビロン捕囚、バビロンからの解放というイスラエルの未来の歩みを先に伝えている。さらに、救い主の誕生、救いの完成、再臨と終末という救いの歴史は、ヘンデルのメサイアの基となっている。この51章はバビロンからの解放が語られる。一度、国が失われてしまっており、そこから再建していくことは大変困難であった。私たちの教会の状況、個人の状況も困難を覚えておられるだろうか。そこに働かれる神様を見ていこう。

Ⅱ.救いの恵みに立つ
神様が支え、導き、助けられる者は誰なのか。「義を追い求める者、主を尋ね求める者」(1節)という神様を求める者こそがそうである。以降、聞け、目を留めよ、考えてみよ、心を留めよ、耳を傾けよと神様は命じられている。イスラエルの状況は「廃墟」(3節)となり、他の民から「そしり、ののしり」(7節)という辱めを受ける状態であった。
その苦しみの中で「切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ。」(1節)とある。私たちが救われる以前の痛みと、救われた後の恵みを思い起こせよと言われる。私たちがイエス様に出会い、私の救い主であると信じて救われた日のことを思い出す。私たちは自分が自分を救ったのではない。岩から切り出す、掘り起こされるのは神様である。神様の愛と憐み、慈しみが無ければ岩に挟まったまま、地面に埋もれたままであった。私たちは神様からの力と命に生きる幸いを覚える。神様の愛に応え、強く神様に求め信頼していく「神に近づきなさい。そうすれば神はあなたがたに近づいてくださいます。」(ヤコブ4:8)。

Ⅲ.神様のなされる業
9節にある「ラハブ、竜」は出エジプトを示している。聖書全体から見るとエジプトは、世俗的なこの世の悪を象徴している。神の民と敵対し、滅ぼそうとしたこの世の力は、反対に滅ぼされてしまった。旧約聖書で出エジプトと、バビロンからの解放は神の民がどんな困難をも乗り越えていくことができる証しである。神様は大いなる力をお持ちであり、私たちの想像をはるかに超えて働かれる。目の前の状況は「荒野はエデンのように、砂漠は主の園のように」(3節)なる。私たちの内には「楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。」(11節)ことがなされていく。このことを信じて今年も歩んでいこう。

私たちがイエス様によって救いをいただいたのはこの世の力から解放された出エジプトの恵みであった。私たちはバビロンに囚われ、無力であるかのように感じられるかも知れない。岩の中から、地面に埋もれた状態から、神様は主の園の喜びに導き出してくださる。