聖書各巻緒論45、パウロ書簡1

聖書:ローマ12:1~11

12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。
12:4 一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、
12:5 大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。
12:6 私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、
12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、
12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れないようにしなさい。
12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

聖書各巻緒論は前回、使徒の働きであった。ローマ人への手紙に始まって21通の手紙が続いていく。最初の13通はパウロが記している。

Ⅰ.ローマ人への手紙の大切さ(1~16章全体)
どの手紙も重要性に変りはないが、ローマ人への手紙はやはり1番目に置かれるに相応しい豊かな内容と言える。内容は大きく3区分され1~8章が救いについての教理、9~11章がイスラエル問題、12~15章が信仰者の生活の実践、16章は最後の挨拶になる。第一部、第三部に目が止まりやすく、第二部は軽んじられやすい。しかし、直近のイスラエル・パレスチナ紛争の勃発でイスラエル問題を再認識する。終末にはイスラエルにもう一度スポットが当たる。失われたイスラエルは終末に回復される
(11:26)「こうして、イスラエルはみな救われるのです。」。イスラエルも、パレスチナも、アラブも救われなければならない。全ての民に福音が伝えらえた上でイエス様は来られる。どの部分も大切な手紙である。

Ⅱ.献げられた者の礼拝の大切さ(12:1~2)
今朝の箇所は、ローマ人への手紙・第三部の信仰者の生活について語られている箇所の始まりである。信仰者の生活で一番大切なもの、大原則が書かれている部分になる。神様の豊かな恵み、限りない愛を知り、実際に体験しているのは信仰者だけである。また、イエス様を十字架に献げられた神様の愛を知っている者である。この愛に応えるのは私たち自身を献げることであると言う。神に献げると言うと特別な人でなければできないと思われるが、ここでは礼拝を通して私たち自身を献げていくことが記されている。礼拝を献げることは、全ての信仰者にできることである。真実な礼拝によって私たちは心を新しくされ、神様の御心を知り、再びそれぞれの日常の場へと遣わされる。礼拝は各自個別でではない、一つに集まることによってなされる。コロナ禍を通して礼拝の大切さをさらに深く覚える。

Ⅲ.命あるつながりの大切さ(12:3~11)
礼拝によって一つにされ、一つの群れの中にある私たちはキリストの体の器官の一つ一つであると言う。体の各器官はそれぞれの使命を果たして、体の機能、健康が保たれる。私たちもそれぞれの使命にあって共に働きキリストの体を支えている。神様の恵み(カリス)によって救われ召された私たちには、さらに異なる賜物(カリスマタ)が与えられているとある。ここでは預言、奉仕、教える、勧めをする、分け与える、指導する、慈善を行うことが賜物として出てくる。この他にも多数を挙げることができよう。賜物を実行する力は9節の「愛」、10節の「兄弟愛」が動力である。賜物は用いてこそ生きるものであり、タラントの譬えのように土に埋めていてはいけない(マタイ25章参照)。用い方は3節にあるように思い上がらず、慎み深く用いていく。キリストの体にあることを大切に受け止めよう。

私たちは今この時に、恵みによって救われた意義を深く受け止め、そこに生きよう。