信仰の継承8雪のように白く4

聖書箇所:詩篇23:1~6

23:1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。
23:4 たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。
23:5 私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。
23:6 まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。

先週は新年聖会であり豊かな恵みと霊的な整えをいただいた。今朝は詩篇23篇から良い羊飼いであるイエス様(ヨハネ10:11)を間近に拝したい。

Ⅰ.良い羊飼いであるイエス様
家畜は人の手を借りずに野生で生きることは難しいが、特に羊はそうである。自分で草や水のありかを探せない。毛が伸びると刈ってもらわないと生活できない。野獣が来ても足が遅く逃げられない。敵に向かう角や牙はない。羊飼いが守り、養い、世話をしなければ生きていけない。その羊に私たちは例えられている。神様の助けなしに歩めるという人は多い。しかし、私たちが限界や無力を感じ、ダメだと思うことは人生に起こりうる。
イエス様は良い羊飼いである。良い羊飼いは一匹一匹の羊を良く知り、緑の青草、憩いの水辺へと連れて行く。羊を守って野獣と戦い、盗人から命がけで助ける。一匹一匹の羊を心から愛して行動する。私たちへのイエス様の限りない愛が表されている。私たちはイエス様に信頼して従って行けば良いのである。

Ⅱ.必要を備えられるイエス様
良い羊飼いイエス様は私たちを守り、助け、顧みてくださる。エゼキエル34章はイスラエルの祭司や指導者が悪い羊飼いであると述べる。弱った羊を強めず、病気の羊を癒さず、傷ついた羊を介抱せず、追いやられた羊を連れ戻さず、失われた羊を捜さない(エゼキエル34:4)。しかし、イエス様は正反対に良いもので満たしてくださる「私の杯はあふれています。」(5節)。イエス様の備えは不足しない、丁度でもなく、あふれるばかりに備えられる。ローマ8章を読むと、イエス様はどんな困難の中でも、私たちを圧倒的な勝利者としてくださる(ローマ8:37)。私たちは羊であり無力であるが、イエス様の絶大な力によって圧倒的な勝利をいただく。私たちへのイエス様の限りない顧みが表されている。私たちは無力で何もできなくとも良い。代わりにイエス様が働いてくださる。

Ⅲ.輝きを与えられるイエス様
家畜もペットも人の世話を受けている。飼い主からの愛情と食べ物が与えられ、生活の環境が良い状態ならば、健康で満ち足りている。飼われている生き物たちが恵まれているなら、毛並みの色つやも、体も太って顔色がよい。
私たちはイエス様から離れていては、どんなにこの世の良い物に満たされていても霊的な意味では貧しい者、乏しい者である(ペテロ第一2:25)。良い羊飼いであるイエス様の元にあるならば、恵みによって、霊的信仰的に満ち足りた、内にある輝きに満ちた者となる(ペテロ第一1:8)。教会の外の人たちにあなたは何かが違う、あなたにあるものが欲しいと言われることが信仰者にとって最も大きな証しであり、感謝ではないか。決して特別なことではなく、イエス様を信じる全ての者が持つことができる。

「ペテロは言った。金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。」(使徒
3:6)。私の外におられる良い羊飼いイエス様、私の内におられるイエス様は一つである。私の内外共におられるイエス様に浸されていく歩みをしよう。