聖書各巻緒論48パウロ書簡4
聖書箇所:ガラテヤ5:1~6
5:1 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。
5:2 よく聞いてください。私パウロがあなたがたに言います。もしあなたがたが割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに、何の益ももたらさないことになります。
5:3 割礼を受けるすべての人に、もう一度はっきり言っておきます。そういう人には律法全体を行う義務があります。
5:4 律法によって義と認められようとしているなら、あなたがたはキリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
5:5 私たちは、義とされる望みの実現を、信仰により、御霊によって待ち望んでいるのですから。
5:6 キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。聖書各巻を1回ずつ語ってきたが、新約聖書・パウロの手紙4通目のガラテヤ人への手紙になる。M.ルターはこの手紙を重んじていた。律法ではなく、福音によって、恵みによって救われ聖霊によって実を結んで生きることが明確に記されている。
Ⅰ.恵みの福音を信じる
ガラテヤ人への手紙は内容について論議されることは多くない。ガラテヤが地理的にどこを指しているのかが問われ、北ガラテヤ説、南ガラテヤ説がある。小アジアの中部から北部にかけての北ガラテヤを指すのか、ローマのガラテヤ州を意味する南部も含めての南ガラテヤを言うのかが論じられてきた。何れをとるかで使徒の働きに照らしたパウロの執筆年代が変わるので重要視されてきた。
この手紙は、ガラテヤの信徒たちに「ほかの福音に移って行く」(1:6)という状況が生まれてきたことによって書かれた。福音の恵みではなく、律法の行いによるというユダヤ主義的な教えが入り込んでいた。割礼さえ受けさせられていたことに真っ向から反論する「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」(6節)。
Ⅱ.信仰によって実を結ぶ
律法主義がガラテヤ教会で力を持っていたことに対して、パウロは「律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。」(2:16)と主張する。信仰によって義とされ、神様に生きる者とされることはイエス様が内におられる生き方になる「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」(2:19・20)。イエス様と共に働かれる聖霊は私たちに、愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制という御霊の実を結ばせる(5:22-
26)。
Ⅲ.結ばれた実を生かす
信仰は私たちにイエス様にある御霊の実を結ばせてくださる。これらは自己満足のためにあるのではない。互いに仕え合うために、隣人の益のために用いられる「兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。律法全体は、『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という一つのことばで全うされるのです。」(5:13・14)。イエス様は私たちに自由を与えてくださった(1節)。罪からの解放、死に対する解決、魂の自由が神様からの恵みとして与えられる。この自由をもって神様に仕え、人に仕えるのである。自ら進んで喜んで神様と人のために生きる。永遠につながる最も素晴らしい生き方である。
神様の恵みによる救い、救われた者の歩みが明らかである。混沌とした時代、明確な指針がここにある。