聖書箇所:使徒の働き1:9~11
1:9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
1:10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
1:11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

信仰の継承9赤山講話10
バックストンのこの説教は霊想と言える内容で後から読んでいただきたい。今朝は私が導かれる中で語る。

Ⅰ.見えるイエス様から見えないイエス様へ
イエス様は神様の時が満ちて、肉体を持ってお生まれになった。ヨハネは聞いたもの、見たもの、手でさわったと言う(ヨハネ第一1:1)。イエス様の肉体の命は十字架の上で絶たれたが、イエス様の復活の体はこの世のものを超えていても見え、食事も共にされた。イエス様が初めから見える形でお出でになり、分かる言葉で語られたのは、私たちが神様を知り、理解するためであった。神様は救いを表すにも私たちを考えてくださる恵み深い御方である。
復活のイエス様が40日が過ぎ天に帰られる光景である。見えていた御方が、見えなくなってしまう。失われた、関わりがなくなったのではない。見えていたイエス様は私たちと同じように制限があり(時間、空間等)、限られた人にしか関われない。見えないイエス様は何の制限もなく、全ての人に関わることができる。肉体を持ったイエス様を見られた人たちは幸いだが、今イエス様は見えないが全ての人に届くことができるもっと大きな恵みが現された。

Ⅱ.地上のイエス様から天上のイエス様へ
天に帰られたイエス様は、何をなされているのか。
1)神様の右、勝利の座に着かれている
「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」(詩篇110:1)とあり、イエス様は神様の御心を果たし、勝利の凱旋をされ、栄光を受けられている。
2)私たちを執り成してくださる
「イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」(へブル7:25)とある。地上で私たちと同じ試みに会われて私たちを理解し、助け出してくださる(へブル4:15-16)。地上の大祭司ではなく、天上の大祭司として仲保者の働きをされている。
3)教会を満たしてくださる
イエス様は個人の救い主であり、救われた者の群れ、教会のかしらである(エペソ
1:22)。教会の内にイエス様が満ちておられる(エペソ1:23)。私たちの内に満ちてくださるイエス様は地上の教会の内に満ちてくださる。

Ⅲ.神様の栄光から栄光へ
イエス様の昇天は、十字架と復活の栄光より、さらに大きな栄光である。今も、神様の救いの歴史は成し遂げられていく過程にある「父よ。わたしに下さったものについてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見るためです。世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。」(ヨハネ17:24)。私たちの救いの完全な成就は新天新地の完成にあり「聖なる都エルサレムが神のみもとから、天から降って来るのを見せた。都には神の栄光があった。」(黙示録21:10-11抄)、そこには神様の大いなる栄光が輝いている。

私たちもその栄光に与る者として、大いなる恵みを伝えよう。