聖書箇所ヨハネ15:12~17

15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
15:13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
15:14 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15:15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。

Ⅰ.神の選びと任命
1.神の導き:私がこのみ言葉に触れたのは、恩師澤村五郎でも小島伊助でも三島常夫でもありません。目の不自由な三島常夫師が書かれた独特の毛筆の掛け軸でした。その聖句が目に入り、何回も見ている間に私の救いの聖句、献身の聖句、生涯の聖句となりました。
2.スポルジョンの体験:彼は1850年1月6日、大雪の降る日曜の朝、教会にたどり着けない牧師に代わって講壇に立った一人の執事の説教によって救われました。執事はしどろもどろになって「われを仰ぎのぞめ、さらば救われん。仰げ!仰げ!」(イザヤ45:22)と必死になって叫びました。その時15才の少年は、ただ「みことばを信じて、主を仰いで」救われたのです。今も、かつての雪の朝、彼が占めた古い教会の座席の傍らの壁に1枚の碑文が飾ってあります。「まさにかの朝、階下に座せる少年は回心した」と。
3.神の任命:神はすべてのキリスト者をキリストの証人として選び、任命されました。ですから私たちは生涯かけてキリストを証し、実を結ぶ責任があります。具体的には「福音の宣教と教会の建設」であり、「教会を生み出す教会」となることです。子教会、孫教会を生み出すというビジョンをしっかりと抱かなくてはなりません。

Ⅱ.実を結び、実が残る。
私の初陣の大原教会の中心的なメンバーによって「大久保めぐみ教会」が生み出されました。また私の前任の教会である「西宮聖愛教会」は神戸中央教会の西宮在住の数人のメンバーが中心になり生み出されました。さらに、「西宮聖愛教会」から「宝塚栄光教会」、「伊丹聖書教会」、そして「三田福音教会」が生み出されました。西宮聖愛教会は三つの教会を生み出しましたが、それぞれの開拓当初の際には、金銭的な支援よりも人的な支援を優先させました。人が動けばお金も一緒に動くからです。

Ⅲ.父に求める、父は与える。
大原滞在5年目に教会堂建設の話が持ち上がりました。土地は町の中心部に用意されました。しかし、教会には設計者を知る人は一人もいなかったのです。そこで私は当時教会建築の第一人者であった「S・N氏」を尋ねて一人で東京まで出かけました。彼は一度大原を訪ね、この町を「北欧」のような所だと大いに喜んで下さり、快く引き受けて下さいました。北欧風の瀟洒な教会堂が完成したのは私が大原を離れて一年後のことでした。後で聞いた話ですが、設計士が何度東京と大原を往復したかは知りませんが、設計士に支払った対価は僅か10万円であったと伺いました。

すべて求める者は与えられ、願うことはすべて叶えられました。これらすべてのことは、「わが生涯を支えた神の約束のみ言葉」の成就であることを覚え、主の御名を崇め、感謝申し上げます。