聖書箇所 エペソ4:1~10  2024年度教団聖句2

4:1 さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
4:3 平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。
4:4 あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。
4:5 主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。
4:7 しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
4:8 そのため、こう言われています。「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」
4:9 「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。
4:10 この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。

4月からの2024年度教団聖句の第二回になる。教団がこれからの働きのために、一致して向かえるように与えられてきた御言である。私たちの教会のこれからにも更なる一致が必要である。ここにはイエス様によって変えられ、イエス様によって召し出され、イエス様によって一つとされることが記されている。

1.下られたイエス様(7~10節)
イエス様は神様であり永遠の存在である。Cf.人間の存在の正反対を考えると神様が分かりやすい。人間はあらゆる制限がある。時間、場所等。神様には何ら制限は無い。… 栄光に満ちた、至高の御方が人間の世界に生まれたことは考えられないへり下りである。馬小屋に生まれ、貧しく、低く歩まれた。その死は人から捨てられた十字架の死であり、罪人としてよみに下られた(使徒信条)。それらは父である神様の救いの計画に従ってなされた。イエス様が神様と同じく全ての人を救うことを第一に願われ、ご自分をささげてくださった。神様の愛を表す言葉が「賜物」「恵み」「贈り物」(7-8節)である。イエス様が成し遂げてくださった救いの御業により、神様はイエス様を最も高く引き上げられた「もろもろの天よりも高く上られた」(10節)。

2.召してくださるイエス様(1~3節)
救い主であるイエス様は私たちを召してくださる(1節)。イエス様は私たちに目を注ぎ、常に呼びかけていてくださっている。エリコの取税人ザアカイの救いが象徴的である(ルカ19章参照)。ザアカイは人に愛された良い人物ではなかった。しかし、イエス様は彼の心と思いをご存知であり、「今日、救いがこの家に来ました。」(ルカ19:9)と言われた。イエス様は私たち全てが救われるように召し出してくださる。さらに、「召されたその召しにふさわしく歩みなさい」(1節)と神様と共に歩むことを願われている。神様に相応しく歩む歩みによって、「謙遜」「柔和」「寛容」「愛」「忍耐」「平和」(2・3節)という御霊の実を結んでいくのである。

3.一つにしてくださるイエス様(4~6節)
イエス様は私たちに救いを現わしてくださった。救いに与るように招いてくださっている。今私たちはイエス様の召しに応え神様と共に歩む者である。神様に相応しく整えられ、教会にあって一つとされることを願っておられる。キリスト者は孤独に生きる者ではない、教会にあって一つとされる。神様は自己中心の私たちが、イエス様の救いに与っても一致していくことの困難さをご存知である。3~6節の短い箇所に一つと言う言葉を7回用いておられる。「召しの望み」「からだ」「御霊」「主」「信仰」「バプテスマ」「神」である。これら多くのことがらによってネットのように私たちは一つにされていく。一つが叶わなくても、失われても簡単に離れていくことは無い。

教団に、教会に一致を阻むものは起こるかも知れない。それらを恐れることは無い。神様を信じて従って行こう。全てを越えて私たちは主が再び来られる日まで、進んでいくことができる。